翻訳者の日常

質問をいただきました:なぜ「特許翻訳者」なのですか?

先日、質問をいただきました。

質問:翻訳って色々分野があると思うのですが、その中でなぜ「特許翻訳者」なのですか?

これ、偶然かもしれませんが、全く同じ質問をここ数カ月で3回いただきました。

皆さん中国語を学習中の方で、将来翻訳に関わる仕事がしたいという方でした。

これから中国語に関わる仕事をしたいという方の中で、翻訳も視野に入れているという方、少なくないと思います。今日お話するのはあくまで私の場合ですが、ひとつの例として、何かの参考になれば幸いです。

※ここでは「なぜフリーランスなのか」「なぜ翻訳なのか」ではなく、翻訳をやると決めた上で「なぜ特許翻訳という分野なのか」について語っています

非常にざっくりですが、翻訳は対象とする文章、コンテンツで下記のように分けられます。

  • 出版翻訳→書籍(本を訳す)
  • 産業翻訳→法規、契約書、商談資料、WEBサイトなど多岐にわたる
  • 特許翻訳→特許に関わる技術文書
  • 字幕翻訳→映画、ドラマのセリフ(最近は動画コンテンツ全般)

私が数ある翻訳分野の中で「特許翻訳」に狙いを定めた理由は、大きく2つあります。

1つ目は「未来」に関すること

2つ目は「過去」に関すること

です。

言語の国の「未来」に目を向ける

私は夫の仕事がきっかけで上海に移住し、現地で2年半を過ごしました。

その間、大学の留学生コースに通い、世界各国から来たクラスメイトとともに中国語を学びました。

中国語のパワーに圧倒されっぱなし

環境にも恵まれ、語学力もなんとか向上。ありがたいことに、帰国が決まった頃には「次はこれを使って仕事をしてみたい」と考えられるレベルまで伸ばすことができました。

色々な思いがあり(これはまた語りたいと思います)、「帰国後は翻訳を仕事にしたい」と考えるようになりました。

さて、本題はここからです。

なぜ「特許翻訳者」なのでしょうか。

中国での生活を振り返って、大きく感じたことがありました。

「中国すごい」

これです。

科学をはじめとする技術力、どんどん拡大するスケール、そのスピード、そして「これからまだまだ強く、大きくなるぞ」という勢いを、中国の内側からひしひしと感じていました。

日本にいたときの中国のイメージとは全く違うものでした。

中国国内にいると、日本よりもそう感じやすい(ダイレクトに伝わりやすい)というのはあると思います。

しかし、そんなレベルではないのです。

「世界で初めて成功した」

「世界で初めて実現した」

日々飛び込んでくるこのようなニュースは、「日本が格上」なんて呑気なイメージをもっていた私の固定観念をひっくり返すものでした。

中国に住んでいたとき、経済番組や企業のドキュメンタリーをよく観ていました。

最初は中国語の勉強のためだったのですが、徐々にその「すごさ」に目を奪われるようになり、毎回食い入るように観ていました。

スマホのチップに関すること、医療機器に関すること、宇宙産業のこと…

技術分野は多岐に渡りますが、その研究に突っ込む(なんて表現がよいか悪いかわかりませんが)人・モノ・カネの規模感と、トライ&エラーを繰り返すスピードは、日本には絶対にないものでした。

「中国は世界の中心になる。少なくても日本なんてもう目ではない」

「そしてこの勢いはしばらく続く(続かせる)

この二点は腹の底から感じました。

つまり、技術力とそれに関わる産業は今後もまだまだ拡大し続けるということ。

「中国のニュースばっか見てるから洗脳されてんじゃないのー?(笑)」

友人に言われました。そう見えるかもしれませんよね。2年半前の私であれば、きっと同じことを言っていました。

一方で、中国「以外の」情報を見ても、同じことが言えると思います。

特許保有件数などの具体的数値や、デジタル化社会のレベル感の違いなど、これらの情報は日本のニュースでも何度も取り上げられています。

明らかな事実なのです。

さらにそれを「体感」する日々を過ごした私には、「中国語を使って、中国と関わる仕事をする」と決めた限りは、中国の技術面(のこれから)に目を向けない仕事なんてあり得ませんでした。

そこで、翻訳×技術力に関わるもの・こと で考えると、そこに見えた答えは「特許翻訳」でした。

これが一番大きな理由です。私はこの理由から特許翻訳に挑戦することを決めました。

職業として何かを選ぶとき、大切なポイントのひとつが市場性があるか否か、その市場がこれからどう変化するか、です。

新商品投入と同じで、いくら労力をかけても、そこに情熱があっても、市場性が見込めないとなると、実際問題、収益化は非常に困難になります。

フリーランスは自分自身の全てが商品。リソースを割いて攻めていく先は、ある程度「戦略的」に定める必要があります。

とはいえ、戦略的レベルにも満たないぐらい、中国の発展の凄まじさ、今後への期待は誰の目にも明らかなほど簡単に知り得ることです。

まずはその王道分野を選んだということになります。

中国がこれからどこに進むのか、この目で見てみたい

上に書いたこと、それが翻訳分野の中で特許翻訳を選んだ理由です。

ただ、もう一歩踏み込んでお話をすると…

凄まじい勢いで拡大する中国の技術分野に対して「市場性を」なんて言葉を使うといかにも戦略的な感じがしますが、

実のところ「中国はこの先どこにいくのか、すごく興味がある」という思いが強かったのです。

この国はこれからどんな道を歩むのか、どんな悩みを抱えてどんなふうに解決するのか、そして、私にどんな発見をもたらしてくれるのか。

中国に住んで中国の魅力にどっぷりはまった私。中国が私を「惹きつける部分」はきっと中国から離れても(帰国しても)変わらず存在し続けると思ったのです。

中国という国に対しては色々な見方がありますよね。けれども、間違いなく非常に面白い国であり、大きな可能性を秘めている国です。

そんな国を、もっともっと知りたいと思いました。

そして、今の中国を一番よく知ることができる入り口は、「技術」という切り口だと思いました。

このような個人的な思いもあり、特許翻訳を選びました。

以前から中国に関わる仕事をしていた方は、こんなこととっくの昔に感じていたかもしれません。

しかし私がちゃんと中国を知ったのは、自分が移住して中国という地に身を置くようになった2015年からでした。見る人が見たら遅いと思うかもしれません。しかし、私に訪れたきっかけはこの時期でした。

翻訳は、外国語で書かれた内容を、日本語に訳すという行為を経て、その内容を知りたいと思っている人に届ける仕事です。

けれども、なんだかんだ言って中国のことを一番知りたいのは、文章を訳しているこの私なのかもしれませんね。

あとは…… 他の分野と比べて翻訳単価も高いと聞いたので。

その分、難しいというのは当然ですが、やっぱりほら…同じやるなら稼ぎたいじゃないですか(笑)

ちょっと貪欲ですけど。。。正直、これも理由です。

自分の「過去」が下支えしてくれる

技術分野は今まさに中国の得意分野である。これからも成長が見込める。そして、翻訳単価も高い方。

理由としては、これで十分なようにも見えます。

しかし、私の場合、もうひとつ大きく関係してるのが、自分の「過去」です。

これが大きな後押しになっていることは間違いありません。

結論を先に言うと、「ものづくり」に感じる浪漫です。

「ものづくり」への浪漫と私の前職

私は大学を卒業してから丸10年間、食品メーカーに勤めていました。所属はずっと営業でしたが、「ものづくり」に深く関わる日々でした。

担当する取引先のコンビニチェーンと協業でオリジナル商品の開発をしたこともあります。もちろん自社ブランドの商品はもう子どものようなものです。

メーカーに10年間勤めて学んだのは、ものづくりへの情熱、そしてその尊さです。

メーカーは世に商品を出すまで、何年もかけて準備をします。事前調査から始まり、原料を求めて全国を飛び回り、味の調整を何十回と行い、少しずつ、本当に少しずつ完成に近づいていきます。

パッケージのライン一本でも、「ベスト」を探すために推敲を重ねます。「こんな違い誰もわからないだろう」という細部まで、そして裏の裏までこだわりぬきます。

ひとつの商品は、何十人、時には何百人がバトンを繋いだ、情熱の結晶なのです。

私はたまたま食品メーカーでしたが、他の分野の開発者、技術者たちも毎日汗を流しながら商品や新技術と向き合っています。

それがメーカーであり、「ものづくり」なのです。

前職の経験も相まって、そこに何ともいえない浪漫を感じるのです。

その技術・商品に込められた「情熱」に何らかのかたちで関わり、お手伝いできる仕事がしたい。なんていうと大袈裟ですが…

私はもう食品メーカーを辞めたので、自分が「ものづくり」に直接携わることはできないですが、そういった人を(回り回ってでも)応援できたらと思いました。

新しいものができあがるまでの汗と涙

特許はペラっと1枚紙があって、そこに発明やら権利やらに関わる大切なことが書かれています。しかし、この「1枚」が実現するまでに、どれだけの汗と涙が流れたか… そう感じてしまいます。

そして、その素晴らしさも。

その素晴らしさに、国による差はないと思っています。

中国で開発された素晴らしいものはどんどん日本に入ってきたらよいと思いますし、逆も然り。

日々メディアで取り上げられるような先進技術だけではなく、私は(過去の経験もあり)身近なもの、生活に密着したものにも着目しています。食品分野は私の中のコアなので、中国の美味しいもの、新しい素材・技術、食文化など、一人でも多くの日本人に知ってもらえるお手伝いができたらと、密かに思っています。

※個人的には、昆虫食、漢方などの分野は、日本ではまだまだニッチな市場ですが、この先もっともっと広がってくるのではと注目しています。

ただ、ここは「自分が好きな分野だけ!」と限定せずに、よい意味で固定観念を外して様々な分野にチャレンジしています。(最近足を踏み入れた「半導体」はその例です)

中国の技術発展に関しては国家戦略も大きく影響し、複雑な要素も、厳しい評価もあります。それもある意味で正しい意見です。模倣品問題だって、だいぶ少なくなったとはいえ、まだまだ数多く存在しているのが現実です。

しかし、だからといって中国で開発されたもの全てがそうではありません。

よい商品を出そう、新しい技術を生み出そう、そう考えて走り続けているメーカー担当者、その人たちの情熱はとても尊いものだと私は思っています。

なので、ひとつの「日の目」である特許出願という場面で、中国語を使ってお手伝いがしたい、役に立ちたいと、そう思うのです。

上に書いた「未来」に関わることがロケットを飛ばす「方向」を示すものであるとすれば、この「過去」からくる思いはロケットを飛ばすエンジンのようなものですね。日々の行動を下支えする、大きな原動力になっています。

以上、私が特許翻訳者を目指している理由を、「未来」と「過去」からお話しました。

「好きなことだからきっと楽」はない

これらの理由を話したとき、「自分で好きなカテゴリを選んでいるから、楽じゃないですか?」と言われたことが一度だけあります。

とんでもない!!!

自分で選んだ道だからといって、好きなこと、得意なこと、気の向くことばかりで成り立つと思ったら大間違いです。

特許翻訳をやるには技術を読み解く力が必要で、私にはそんな力、1ミリもありませんでした。なので、その力を「つける」ということをしなければいけません。

自分で言うのもなんですが、大変です…

さらに言うと、翻訳者として成り立つためには、翻訳「以外の」力も必要です。ここも楽ではありません。

自分がやりたい要素、好きな方向にだけ力を注いで、それだけで成り立つ仕事なんてないと思っています。

同じ中国語翻訳でいうと、知人が「字幕翻訳者」を目指して日々奮闘しています。中国語の台詞を訳すのが楽しいと。

けれど、鍛錬が必要なのはどの分野も同じ。レベル向上のために中国の歴史ドラマ、いわゆる「時代劇」のようなものも、DVDを何本もレンタルして研究しているそうです。

面白い?と聞くと「全く面白くない!でも(字幕翻訳やるなら)現代ドラマしかやりませんなんて、あり得ないから」と。

そんなもんです。

最後に

どの言語かに関わらず、翻訳を始めたいと思うとき、分野に迷うこともあると思います。

そんなときは、その言語の国の「未来」と、自分の「過去」に目を向けてみると、何かヒントが見つかるかもしれません。

あくまで私の例ですが、今回は少し詳しくお話させていただきました。語学を学習されている方にとって何かの参考になれば、私自身とても嬉しいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。