筆者プロフィール

Kao

フリーランス翻訳者。翻訳言語は中国語。

1982年生まれ。大阪府出身。転勤族の妻。近畿大学法学部を卒業した後、「食べることが好き」という理由で法律分野とは全く関係のない食品メーカーへの就職を希望しました。氷河期の余韻がまだ残る中での就活では苦労するものの、運良く大手食品メーカーに総合職で入社。営業一筋、全国転勤を繰り返しながら仕事ばかりの生活を送っていました。

33歳のときに結婚。同時に夫の転勤がきっかけで中国・上海に移住しました。バリバリの仕事人間だったこともあり、大好きだった仕事を辞めての帯同はかなり悩みましたが、せっかくなら留学生としてがっつり勉強だ!と意気込み、夫婦そろっての移住を決意しました。

上海では「駐在員の妻」と「留学生」の2つの顔をあわせ持ち、日々奮闘。ビザの関係で働けない立場となり、自分の人生プランにはなかった専業主婦を経験しました。働けないジレンマを抱えながら、「仕事って自分にとって何なのか」を腹の底から考えさせられました。このときに味わった焦燥感と孤独感は一生忘れません。

現地の大学では国際留学生コースに通い、中国語の学習以外にも歴史や文化、少数民族など幅広く知見を深めることができました。最初は「仕事も辞めたのだし手に職をつけないと」という焦りからがむしゃらに勉強していましたが、気が付けば中国語と中国の魅力にどっぷりはまり、「帰国後も中国語、そして中国と関わっていたい」と思うようになったのもこの時期です。

ちょうど中級クラスにいた頃、「この中国語の手紙、訳して」と日本人の友人から依頼されたのがきっかけで翻訳の面白さ、奥深さに目覚めました。中国語が上級レベルに上がった頃は翻訳技術の向上にも注力。上海に移住して2年半後の2018年春、夫に本帰国の辞令が出たので日本に帰国しました。

帰国後はフリーランスで翻訳業を開始しましたが、自身の能力のなさを痛感して挫折。「語学力だけでやっていけるものではない」という当たり前のことにも気がつかなかった自分の愚かさを知ります。「かといって今さら私には何があるの」「私には何もない」という恐怖が一気に襲ってきた時期がちょうどこの頃でした。

自分の無能感をこれでもかというほど突きつけられ、「何かヒントを」とすがる思いで読むノウハウ本やインターネット記事はどれも「早稲田出身」「慶応出身」「国立大卒」。凡人の私には到底無理なのだと、自分が目指そうとしている理想がガラガラと崩れ落ち、粉々になって吹き飛んでいきました。

残ったのは、世界で自分ひとりだけが取り残されたようなとてつもなく大きな孤独感と、「結局、私には何もない。最初から何かができる人間ではなかったのだ」という底なしの自己否定感でした。

同時に、子どもができない「不妊」の問題にもぶち当たり、望んだもの何ひとつ生み出すことができず、自分が何のために存在しているのかが全く見えない日々を過ごしていました。今考えても、人生で一番辛かった時期でした。真っ暗闇がどこまでも続いているような感覚でした。

その後、「自分はできない人間なのだ。才能もない。どこにでもいる凡人なのだ」と腹をくくり、一から丁寧に翻訳の学習をすることを決意しました。このときに捨てられるプライドはすべて捨てました。

総合職で月にウン十万稼いでいた自分が高校生と一緒に時給900円のアルバイトをすることになるなんてこれっぽっちも想像もしていませんでしたが、それも受け入れました。今でも第一線で活躍しているかつての仲間を思い出すと、自分がなんだかみじめに見えました。帰り道に大粒の涙が流れなくなるまでに、何日もかかりました。

それからは週3日のアルバイトと並行して1年間で2500時間の学習をしました。特に最初の半年間は当時の記憶がないぐらい学習に打ち込みました。買い物、映画、旅行…… 普通の人が当たり前に触れる「娯楽」「ご褒美」「気分転換」は1ミリも生活に入れませんでした。

その甲斐があって、現在はありがたいことに特許文書を中心とした技術文書の翻訳案件を継続していただけるまでになりました。中国語と日本語をいじっているのが楽しくて仕方がありません。

人生一度きり。こんなに夢中になれるものを与えてくれた神様に感謝しています。

私生活では、次の転勤(夫の転勤)がいつきてもよいように、常に準備をしています。これから先、どこでどんな景色が見られるのでしょうか。変化が多い人生、少しの工夫と気持ちの持ちようでいかようにも変えることができることを実感しています。

2018年10月に個人事業所としてスタートした『レモン翻訳舎』は、翻訳者としての実績やノウハウだけでなく、変化の多い人生にどう対応していくかについての「知恵」も蓄積してきました。そして、「大人になってから語学学習を始めても、ちゃんと仕事につながる」ということを実証する存在でもあります。

翻訳って面白い。転勤だって「人生の転機」になる。そして、やっぱり中国語が大好き。

そんな筆者が自身の経験をもとに、「どこにでもいる普通の30代ができること」として、さまざまな角度から情報を発信していきます。

とはいえ、翻訳業については今でも奮闘中。もっとレベルを上げるにはどうしたらよいのか?途切れなくやってくる壁をどうやったら乗り越えられるのか?この不安をどうやって解消すればよいのか?悩みはつきません。

そんなリアルな姿もブログで正直に発信していきます。

『レモン翻訳舎 Web』が少しでもみなさまのお役に立てますように。本サイトを訪問してくださったことに感謝の気持ちでいっぱいです。

2020年4月1日
Kao

◆筆者の経歴をより詳しく知りたい方は、下記の『数字で知るKao』をご覧ください。

数字で知る『特許翻訳者』Kao

36歳:個人事業開業届けを出してフリーランスとして正式に開業したのは36歳のときでした。

※上海在住時も何度か翻訳依頼を受けたことはありますが、ビザの関係で収入を得ると違法になるためすべて無償で受けていました。翻訳でお金をいただくようになったのは日本に帰国してからです。

1.5年:正式に開業してから1.5年が経ちました。(2020年4月現在)

17社:今までトライアルに応募した数です。返信がなかったもの、トライアルで落ちたもの、合格して登録までいったもの、すべて含んでいます。

35カ月:中国語をゼロから勉強して翻訳者として開業するまでにかかった期間です。35カ月(2年11カ月)かかりました。

41冊:フリーランス翻訳業を立ち上げるために活用した書籍は41冊です。翻訳に直結するものからマインドセットに関するもの、税金知識補強のためのものなど多岐にわたります。

186件:特許翻訳者になるまでに読んだ特許明細書の数です。うち2割が中国語明細書、あとはすべて日本語明細書です。

2台:増えた本棚の数です。1つは天井まで高さがあるもの。もう1つは横長で腰までの高さがあるキャビネットタイプです。

2:10:翻訳者としてはまだ2年目。前職の食品メーカーでは10年の経験があります。そう考えると、まだまだですね。まずは10年。そこまでやって初めて見えてくるものがあるのは前職で経験済みです。

5つ:保有する免許・資格の数です。翻訳と関係があるものは、そのうち3つです。

保有資格詳細:
HSK6級
HSKK高級
中日ビジネス一般翻訳能力検定2級
野菜ソムリエ
普通自動車免許

数字で知る『中国語学習者』Kao

33歳:中国語学習を始めたのは33歳でした。

15カ月:中国語学習をゼロから初めてHSK6級に合格するまでにかかった期間は15カ月(1年3カ月)でした。

19冊:上海在住時に学習した中国語のテキストは全部で19冊でした。

81万円:初級から学習して翻訳者デビューするまでにかかった中国語学習費用は日本円換算で81万円でした。主に現地大学の学費です。移住時期と大学の学期スタート時期にずれがあったため、大学が始まるまでは民間の中国語教室でつなぎました。

2校:現地で通っていた大学。上海交通大学に1年半、華東師範大学に半年間お世話になりました。ともに教師陣の質が非常に高く、私の中国語学習を加速してくれました。

3回:中国語や中国に関わるコンテストで過去に受賞した回数は3回です。

受賞歴詳細:
育成杯日本人作文・スピーチコンテスト(2017年) 一等賞受賞
忘れられない中国滞在エピソード作文コンテスト(2018年) 二等賞受賞(※)
忘れられない中国滞在エピソード作文コンテスト(2019年) 三等賞受賞(※)
(※)優秀作品として書籍化

数字で知る『転勤族の妻』Kao

5都市:今まで住んだことのある都市は5都市です。(大阪府、千葉県、愛知県、東京都、中国上海市)

10部屋:今まで住んだ部屋の数です。見た目がおしゃれで引っ越しを決めたあとに壁が薄いことに気がついたワンルームや、独立した浴室がない上海のマンションまでさまざまです。間取り図だけでよい部屋を見抜く能力は今やかなり高いです。

13回:今まで引っ越しした数です。荷物のパッキングは業者なみに早く終わります。引っ越しをスムーズに終わらせるコツは、とにかく捨てること。

引っ越し歴詳細:
大阪市の実家→(1回目)→東大阪市の学生マンション→(2回目)→大阪市の実家→(3回目)→名古屋のマンスリーマンション→(4回目)→千葉のワンルーム→(5回目)→名古屋のマンスリーマンション→(6回目)→千葉のワンルーム→(7回目)→大阪のワンルーム→(8回目)→名古屋のワンルーム→(9回目)→東京のワンルーム→(10回目)→大阪市の実家→(11回目)→上海のマンション→(12回目)→上海の別のマンション→(13回目)→千葉のマンション→今後につづく……

1回:夫の転勤をきっかけに自身の仕事を辞めた回数。しっかり考えて自分で決断したので後悔はありません。が、このときに「これだけ難しい選択を迫られるのは二度とごめんだ」と思い、その後は場所にとらわれないフリーランスという働き方を選びました。